The Blue 10
放課後、僕は久しぶりにあの公園にやってくる。未だ少なからず暑さが辺りを漂っているが、それでも以前訪れた時に比べると、ずっと過ごしやすい頃合いになった。全く、この前はあんなに暑苦しかったのに、なんでこんな場所に来たんだろう。ああ、なんだか汗かくのが気持ち良かったんだっけ。そんなことを思いながら、僕は前にも座っていたベンチに向かって歩いていく。
そのベンチに、既に女の子が座っていることに途中で気づく。いや、公園に入った段階で誰かが腰掛けていることはわかっていたのだが、考えごとをしていたせいで、僕は無意識のうちにその近くまで来てしまっていたのだ。
さあて、どうしようか。僕は立ち止まる。その時、女の子が一瞬こちらの方を見る。僕の高校の制服を着ている。でもその子を学校で見た覚えはなかった。見るからにおとなしそうな人だった。文庫本を手に持っていて、僕の存在を確認した後、すぐにまたその本に目線を落とした。
僕はその場に立ち尽くしたまま、あれこれ考えた末に、結局他の場所に移ろうと決める。そしてベンチと女の子に背を向けようとした時、
「あっ、あの、待ってください」
突然呼び止められて、僕は拍子抜けする。振り向き直ると、女の子が立ち上がっていて、
「こ、この席使いますか」と動揺しながら言った。
僕はとっさに、
「あっ、隣のベンチ使うんで大丈夫です」と言う。
「そ、そうですか。すいません・・」女の子は座り直す。僕も自分の言ったことに従って隣にあったベンチに腰を下ろした。
動揺がある程度収まってから、僕は自分の言ったことを後悔する。どうして帰りますと言わなかったのだろう。一人になるためにこの場所に来たのに、隣に人がいたんじゃ、自分だけの世界に浸ることもできない。そうとわかっていながら、なぜつい隣のベンチを使うと言ってしまったのか。さらに、そんなことでくよくよしている内に、僕は席を立つタイミングまで見失ってしまっていた。
その一方で僕は、前にもこんな出来事なかったっけ、ということに思い当たる。そうだ、サナエと初めて話した時も、こうやって呼び止められたんだったな。僕は少し懐かしい気持ちになる。
そうこうしている間に、隣のベンチの女の子もいつの間にか落ち着きを取り戻したようで、すっかり読書に集中している。彼女の肌は、とてもこの暑い季節を乗り越えたとは思えないほど、白く純粋だった。
僕は、段々考え事をするだけでじっとしていることに耐えがたくなってくる。いつもなら、邪魔しちゃまずいと思って人見知りを発揮し、何もしない。でも、今は違う。何故かはわからないけど、懐かしさとか幸せとか切なさとか、いろんな感情が僕の中で入り混じっている。どこかの木の枝で、セミが夏の名残を惜しむかのように鳴き叫ぶ。
そして僕は女の子の方に少し寄り、思い切って声をかける。
「あの、すいません、何年生ですか?」
「えっ、あっ、一年ですけど」
あの時と一緒だ。
「じゃあ、一緒だね。俺も一年」
自分らしくもないなと感じながら、話を続ける。
「よくここには来るの?」
「えっと、初めてです。たまたま歩いてたら見つけて。あなたは?」
「俺?まあ、たまに来るぐらいかな。で、久しぶりに来てみたら、うちの学校の制服着た人が、いつものベンチに座ってるもんだから、吃驚しちゃってさ」
「ああ、そうだったんだ」女の子が初めて笑う。
「私も、同じ学校の人がじっとこっちの方を見てるから、なんかまずいことしちゃったかなと思って。それで、変に呼び止めちゃってごめんなさい」
「いやあ、別に。こっちこそいろいろごめん」
「いえいえ」何故か謝り合う二人。
「ところで、今何読んでるの。あっ、嫌なら別に言わなくてもいいんだけど」
「『海辺のカフカ』。知ってる?」
「えーっと。村上春樹さんだっけ?」
「そう。皆の嫌いな」
「えっ、嫌われてるの?名前はよく聞くから、その内読んでみようと思ってたんだけど」
「まあ、好き嫌いは分かれるかな。家に他の作品もあるから、貸してあげよっか?気に入ってくれるかはわかんないけどね」
「ありがたいけど、でも初対面の人に・・・って、ごめん。まだ名前聞いてなかった」
「ほんとだ。私の名前は・・・」
お互いに自己紹介をした後、二人はいろんな話をした。学校のこととか、好きな本のこととか。初めて会った、しかも女の子とここまで話し込んだのは、僕としては初めてだった。今にも空が黒に覆われそうな時間になるまで僕たちは一緒にいた。本の貸し借りをすることも決まった。そして、またこの場所で会う約束を交わした。
公園を出て、彼女と別れてから、僕は一人で駅に向かう。空を見上げる。星がぽつぽつと瞬き始めている。ほんの小さな点の光。
僕は、大切にしなくてはいけないと心に誓う。これまでの出会いも、そして、今日のという日の出会いも。
人は、変わり続けることができる。