The Blue 10
放課後、僕は久しぶりにあの公園にやってくる。未だ少なからず暑さが辺りを漂っているが、それでも以前訪れた時に比べると、ずっと過ごしやすい頃合いになった。全く、この前はあんなに暑苦しかったのに、なんでこんな場所に来たんだろう。ああ、なんだか汗かくのが気持ち良かったんだっけ。そんなことを思いながら、僕は前にも座っていたベンチに向かって歩いていく。
そのベンチに、既に女の子が座っていることに途中で気づく。いや、公園に入った段階で誰かが腰掛けていることはわかっていたのだが、考えごとをしていたせいで、僕は無意識のうちにその近くまで来てしまっていたのだ。
さあて、どうしようか。僕は立ち止まる。その時、女の子が一瞬こちらの方を見る。僕の高校の制服を着ている。でもその子を学校で見た覚えはなかった。見るからにおとなしそうな人だった。文庫本を手に持っていて、僕の存在を確認した後、すぐにまたその本に目線を落とした。
僕はその場に立ち尽くしたまま、あれこれ考えた末に、結局他の場所に移ろうと決める。そしてベンチと女の子に背を向けようとした時、
「あっ、あの、待ってください」
突然呼び止められて、僕は拍子抜けする。振り向き直ると、女の子が立ち上がっていて、
「こ、この席使いますか」と動揺しながら言った。
僕はとっさに、
「あっ、隣のベンチ使うんで大丈夫です」と言う。
「そ、そうですか。すいません・・」女の子は座り直す。僕も自分の言ったことに従って隣にあったベンチに腰を下ろした。
動揺がある程度収まってから、僕は自分の言ったことを後悔する。どうして帰りますと言わなかったのだろう。一人になるためにこの場所に来たのに、隣に人がいたんじゃ、自分だけの世界に浸ることもできない。そうとわかっていながら、なぜつい隣のベンチを使うと言ってしまったのか。さらに、そんなことでくよくよしている内に、僕は席を立つタイミングまで見失ってしまっていた。
その一方で僕は、前にもこんな出来事なかったっけ、ということに思い当たる。そうだ、サナエと初めて話した時も、こうやって呼び止められたんだったな。僕は少し懐かしい気持ちになる。
そうこうしている間に、隣のベンチの女の子もいつの間にか落ち着きを取り戻したようで、すっかり読書に集中している。彼女の肌は、とてもこの暑い季節を乗り越えたとは思えないほど、白く純粋だった。
僕は、段々考え事をするだけでじっとしていることに耐えがたくなってくる。いつもなら、邪魔しちゃまずいと思って人見知りを発揮し、何もしない。でも、今は違う。何故かはわからないけど、懐かしさとか幸せとか切なさとか、いろんな感情が僕の中で入り混じっている。どこかの木の枝で、セミが夏の名残を惜しむかのように鳴き叫ぶ。
そして僕は女の子の方に少し寄り、思い切って声をかける。
「あの、すいません、何年生ですか?」
「えっ、あっ、一年ですけど」
あの時と一緒だ。
「じゃあ、一緒だね。俺も一年」
自分らしくもないなと感じながら、話を続ける。
「よくここには来るの?」
「えっと、初めてです。たまたま歩いてたら見つけて。あなたは?」
「俺?まあ、たまに来るぐらいかな。で、久しぶりに来てみたら、うちの学校の制服着た人が、いつものベンチに座ってるもんだから、吃驚しちゃってさ」
「ああ、そうだったんだ」女の子が初めて笑う。
「私も、同じ学校の人がじっとこっちの方を見てるから、なんかまずいことしちゃったかなと思って。それで、変に呼び止めちゃってごめんなさい」
「いやあ、別に。こっちこそいろいろごめん」
「いえいえ」何故か謝り合う二人。
「ところで、今何読んでるの。あっ、嫌なら別に言わなくてもいいんだけど」
「『海辺のカフカ』。知ってる?」
「えーっと。村上春樹さんだっけ?」
「そう。皆の嫌いな」
「えっ、嫌われてるの?名前はよく聞くから、その内読んでみようと思ってたんだけど」
「まあ、好き嫌いは分かれるかな。家に他の作品もあるから、貸してあげよっか?気に入ってくれるかはわかんないけどね」
「ありがたいけど、でも初対面の人に・・・って、ごめん。まだ名前聞いてなかった」
「ほんとだ。私の名前は・・・」
お互いに自己紹介をした後、二人はいろんな話をした。学校のこととか、好きな本のこととか。初めて会った、しかも女の子とここまで話し込んだのは、僕としては初めてだった。今にも空が黒に覆われそうな時間になるまで僕たちは一緒にいた。本の貸し借りをすることも決まった。そして、またこの場所で会う約束を交わした。
公園を出て、彼女と別れてから、僕は一人で駅に向かう。空を見上げる。星がぽつぽつと瞬き始めている。ほんの小さな点の光。
僕は、大切にしなくてはいけないと心に誓う。これまでの出会いも、そして、今日のという日の出会いも。
人は、変わり続けることができる。
The Blue 9
まだ夏の暑さを残しながら、新学期が始まった。始まってすぐに文化祭が行われる。学校がいつも以上に賑やかになる。クラスで行った劇は、素人の取り組みにしては中々の出来だった。僕も、自分の与えられた役割を難なくこなすことができた。
その一週間後には体育祭も行われ、僕はここでも、そこそこの運動能力を発揮してクラスにまずまず貢献した。今ではあの3人以外のクラスの大体の人たちとも、僕はそれなりに話をするようになっていた。人見知りを自覚していた自分にとって、このことはとても驚くべきことであり、ちょっと前の僕からしたら考えられないようなことであった。
立て続いた行事が一通り終わり、学校は少し落ち着きを取り戻した。イベントの賑やかさはそんなに嫌いではなかったけど、個人的には実を言うと、静かな学校の方が好きだったりする。そして気が付くと、もう次の定期テストの時期が近づいていた。
そんなある日の昼休み、4人はいつものように教室内で集まって昼食をとっていた。
「いろいろ一段落着いたと思ったら、今度はテストか。嫌になっちゃうなあ、もう」ジョーがぼやく。
「やりたいこともなかなかできないしな」
「夏もちょっと旅行行っただけで終わっちゃったもんな」ヨシもケイちゃんも同意する。
なかなか明るい話題にならないので、
「でも、テストとかもちゃんとやろうと思ったら、割と面白かったりするじゃん」と僕が前向きな主張をしてみる。
「ニシムラ君」
「はい」
「そういう境地には、文化祭や体育祭でも大活躍で、テストの点数も申し分ない人にしか辿り着けないわけ」
「あっ、はい、すいません」僕は恐縮する。して良かった試しがないので、もう敢えて反論はしない。
「でも、ショウちゃんの言ってることは一理あると思うな」ここでケイちゃんがフォローしてくれる。
「嫌だなあって思ってたことも、ちゃんと取り組んでみたら意外と楽しかったりするじゃん。俺は時々そういう経験あるよ。物事何でも、楽しんでやれたら勝ちじゃんか。それに、テストだって何も学年トップを無理に目指す必要なんてないんだからさ。各々の目標の点数や順位を目標にすればいいんだよ。それでもし駄目なら、次はもっと頑張ろうとか、やり方を変えてみようとか、いろんな工夫ができるようになる。そうしていけば、テストとかも案外面白くなったりするんじゃない?」
「おお、流石はケイちゃんだ」
「あなたの心は、江の島から見渡せる広大な太平洋よりも広い」2人が絶賛する。
「やめてくれよ。ていうか本当に偉いのはショウちゃんじゃないか」
「えっ、なんで俺?」
互いに変な譲り合いになってしまう。そうこうしているうちに、昼休みも終わってしまった。
それにしても、いつの間にか自分は随分前向きになったな、とふと思う。
皮肉なことに、そうなれたのは彼らのおかげだったりするのだけど。
The Blue 8
僕たち4人は、横須賀線に乗り、鎌倉に向かっている。天気はいいが、お出かけ日和というには少し暑すぎるような日だ。日差しの刺激的な強さが電車の窓越しからも感じられる。4人はシートに並んで座っている。仲良しの集まりではあるけれど、高校生にとってはそれなりの長旅になるので、思ったほど会話が続かない。誰かがふと思い立ったことをボソッと呟いて、それに対して別の誰かが返す。そこからやり取りが続くが、いつの間にか会話が終わり、静かになる。しばらくしてまた誰かが話し出す。そういえばさ。そんなことを繰り返しているうちに、目的地に到着する。
鎌倉駅の東口に出て、小町通りに入る。様々な食事処やお土産屋さんが軒を連ね、観光客の食欲と購買意欲をそそらせてくる。ただ、まだ午前の十一時になったばかりなので、昼飯はもう少し後にしよう、とヨシが提案する。ジョーが何となく不満そうな顔をするが、一応皆同意する。一行は小町通りを道なりに進み、しかるべきところで右折して、鶴岡八幡宮前の交差点に出る。丸太橋を横切って、再び真っ直ぐに歩いていく。一同もうすっかり汗だくで、体をタオルで拭き、ペットボトルの飲み物をガブガブ飲みながら、会話も無く歩を進める。舞殿を通り過ぎ、石段を登り切って、ようやく本宮にたどり着く。ここでようやく一息つくことができる。
「ふああ、疲れた」
「おいおい、まだこれから行く場所いろいろあるんだろ」
「先行き不安だ」
参拝してから、しばらく日陰で一休みする。徐々に皆の体力が回復してきたところで、ジョーがおみくじを引こうと言い出す。
「お前、早く飯食いたかったんじゃないのかよ」ケイちゃんがツッコむ。
「いいじゃん。折角由緒ある神社に来たんだからさ」
「そういや、俺おみくじなんて今まで引いたことなかったな」ふと僕は思い当たる。
「おや、おみくじ童貞かい?」ヨシがからかう。
「そんなもんあるかよ」
おみくじの結果は、僕とケイちゃんが吉、ヨシとジョーが中吉だった。
「皆そこそこ運がいいな」
「俺たちこんな幸せでいいのかな」
「誰か一人くらい凶でも引いたらネタになったのに」
参道を引き返し、今度は若宮大路をしばらく進む。途中で右に曲がり、小町通りに戻ってくる。駅方面に向かいながら、昼食をとる場所を探していると、丁度有名なタレントがロケで来たことを示した写真が表に出ている、小さな食堂をケイちゃんが見つけた。いい加減皆お腹が空いていたので、すぐにその店に入り、全員おすすめメニューのカツカレーを注文した。だいぶ歩いた後だからいうこともあるだろうけど、かなり美味に感じられた。ボリュームも丁度良い。一同満足して店を出た。いやあ、建物の見た目に騙されちゃ駄目だな。
鎌倉駅から、今度は江ノ電に乗り込んだ。4人は電車から海が見えることを期待して外を眺めていたが、中々海は現れず、気が付くと次の目的地のある長谷駅に着いてしまっていた。海が見えるのはもう少し先なんだな。
駅を出て、北に向かってまたしばらく進んでいく。
「また歩くんかい」ジョーがぼやく。
「お前、鎌倉来たんだからここ寄らないでどこいくんだよ」ヨシがたしなめる。
「俺はさっきのカレーで元通りだけどな」ケイちゃんはすっかり元気そうだ。
「なあショウ、お前ももうしんどいだろ」ジョーが僕に同情を求めてくる。
「俺はまだいけるけど」僕は正直に事実を述べる。
「ああ、そっかショウはスポーツマンか。ケイちゃんの味方か」ジョーはため息をつく。
「ほら、見えてきたぞ」
高徳院。あの鎌倉の大仏がある場所だ。ただ、この場所の大仏はその大きさに驚かされるという感じではない。4人にとっては、どちらかといえば、ああ鎌倉に来たんだなあ、と思わせてくれる存在だった。大仏の胎内巡りもしたけれど、中は空気が籠って真夏の野外よりも蒸し暑いことになっていて、皆すぐに出てしまった。
「釜茹で地獄とはこのことか」ジョーはある種の感心を寄せていた。
むしろいろいろと驚かされたのは、この直後に行った長谷寺だった。高徳院からもと来た道を引き返して、駅の近くまで戻ってから右折し、そのまま進んだところに、そのお寺はある。
そこにはお地蔵さんが大量に並んでいる場所や、巨大な観音様が安置されていた。圧巻だった。一同、すげえ、という言葉しか出てこなかった。
その後再び江ノ電に乗り、稲村ヶ崎駅を過ぎたところで車窓からようやく海が見えた。車内なのであまり騒いだりはできなかったが、ジョーが、
「きたあ」と小声でつぶやいた。僕も同じ気持ちだった。海なんて見たのいつ以来だろう。少なくとも記憶にはなかった。
海は文字通り広大で、圧倒的な存在だった。海面は微かに穏やかに揺れ、西に傾いてきた太陽がその一部を白く眩しく染めてていた。ヨットや船が点々と浮いている。水平線は不思議なくらい真っ直ぐだ。西の方に浮かぶ江の島も、徐々にその姿を大きくしていった。
海を眺めていて僕は、自然に自分の顔がほころんでいることに気づいた。幸福感が僕の中でいつも以上に高まっていた。隣を見ると、他の3人も僕と同じ心理状態になっているようだった。僕たちは江の島駅に着くまで、黙って海を見つめ続けた。
駅に着いてヨシが、
「よし、それじゃあ江の島目指すか」と何気なく言った。
「それ自分の名前と掛けてんの?」ジョーが思わぬ指摘をする。
「なんだよ、お前、いきなり、」ヨシが笑ってどもりながら返す。皆に失笑が起こる。いつもの4人が帰ってきた。
南の方へ進み、海岸線のすぐ近くまで出る。島へ続く一直線の長い橋を歩いて渡る。さっきまで海の向こうに見えていたものが、今はもう目の前にそびえたっている。
江の島に来ることは事前に決めていたことだったが、そこで何をするかまでは特に考えていなかった。
「神社があるらしいから、とりあえずお参りはしよう。まだ皆時間はあるでしょ?後は適当にのんびりしてよう」とヨシが言う。まあこのぐらいのことしか計画していない。
島に入り、鳥居をくぐると、お店が坂に沿ってずらりと並んでいた。その参道の途中で行列ができていた。タコで作った煎餅を売っているようだ。
「なんか名物みたいじゃん。並ぼうぜ」ケイちゃんが提案する。思えば、昼食を食べてからは何も食べていない。慌てているわけでもないので、列に並んでみることにした。
味付けか何かが施されたタコを、特殊なプレス機のようなもので潰して平らにする。出来立ては温かい。シンプルであっさりとした味わいで、少なくとも自分好みだった。値段はやや割高だったけれど、それでも並んだ甲斐はあったと思う。
皆で食べながら進んでいき、途中で今度は島内の名所を示した地図の看板を発見した。
「おっ、結構奥の方まで行けるんじゃん」ジョーが言う。
「面白くなってきたぞ」ケイちゃんは進む気満々だ。
「じゃあ行けるところまで行ってみるか」ヨシが進行を英断する。
一行は階段を昇り降りしながら、江の島神社辺津宮、中津宮、そして奥津宮をそれぞれ参拝しつつ歩を進めていった。皆それまでかなり歩いて疲れているはずだったが、誰も引き返そうとは言い出さなかった。彼らの中では、不思議なまでの無邪気な好奇心が、疲労を上回っていたのだ。僕はまるで自分が小学生になってしまったかのような気分になった。あの頃のことで、いい思い出なんて全然なかったはずなのに。
奥津宮からさらに歩き、急な階段を下っていく。展望が開ける。海だ。
視界の180度以上が、どこまでも深く淡い水の世界に覆われている。さっき電車から見た海よりも、ずっと広い。
「下の方にも降りれるぜ。行こうよ」
海に面した岩場の方に降りる。海のすぐ近くにまで迫ることができる。目の前の波は遠くから見た時と異なり、力強く激しいものに感じられる。自然の驚異的なエネルギーに触れる。飲み込まれたら一巻の終わりだ。
東の方には三浦半島が、西の方には伊豆半島が長く伸びている。そしてその西の方角にある穏やかな雲の中に、今まさに暖かく柔らかい橙色の光が潜り込もうとしている。僕はその光と、大海原を媒介として一直線に繋がっている。
他の3人も、すげえ広い、めっちゃいいじゃん、と感嘆の声をあげていたが、次第にまた誰も話さなくなり、黙ってこの世界の片隅のような光景を眺めるようになる。
4人は日が沈むまで、この場所に留まり続けた。東の方から少しずつ薄い暗闇の世界がやってくる。この宇宙は、間違いなく、人為的な時間に縛られることなく活動している。そのことを実感するまで、僕たちはこの地に別れを告げることができなかった。
帰りの電車内、僕の隣には3人の寝顔がある。散々歩いたんだから無理はない。僕自身は電車で寝れないという体質の問題と、乗り換えで皆を起こさないといけないという使命感から、きたままじっとしていた。暇ではある。話し相手はいないし、疲れて読書をする気にもなれない。外の真っ暗な何も見えない景色を見つめている。
けれども、僕は十分に幸福な気分だった。この世界について、これまであまりに何も知らな過ぎた。今は、人に許され、美しい情景を眺めていることができる。
The Blue 7
夏休みと言っても、あまり休みという感じはしない。僕は普段よりバイトのシフトに入る時間を増やしていたし、進学校故に夏期講習なんてものもあった。それ以外の日の多くも、休み明けにある文化祭の準備の手伝いに費やされた。クラスでは劇をやることになり、僕にはその劇中に出てくる研究施設の研究員という脇役が与えられていた(クラスの皆には何故か物凄く似合っていると指摘された)。部活動に入っていなかったということもあって、僕は台本の読み合わせだけでなく、大道具、小道具を用意する要員としても駆り出された。兎に角、一日何もないという日の方が明らかに少なかった。
その一方で、例の4人はちょっとした日帰り旅行を計画していた。ある日、文化祭の支度をほどほどに切り上げた後、いつものファストフード店で行き先を決めるための会議が開かれた。皆思い思いの食べ物を買ってから、席に着く。
「さあて、どこに行きましょう?」ヨシが切り出す。
「なんか夏っぽいところがいいなあ」ジョーが呟く。
「それならやっぱ海だろ」ケイちゃん便乗する。
「ちょっとベタかもしれないけど、江の島の方とかどう?」僕は思い切って提案してみる。
「ああ、江の島いいじゃん」
「全然ベタじゃないって」
思わぬ共感が得られた。
「江の島かあ。江の島と言ったら、やっぱサザンかな」
ケイちゃんが『勝手にシンドバット』のイントロを口ずさむ。
「おっさんかよ」とヨシがツッコむが、逆にジョーはケイちゃんに乗っかる。そしてサビの有名な時間を尋ねるところを、二人で掛け合いながら歌う。
「4時26分」
途中で僕がいきなり割り込んで、皆に笑いが起こる。
「サザンだったらあれもいいなあ。『希望の轍』とか」
「あれ俺も結構好きだよ」
「なんだ、皆おっさんじゃねえか」
「うちは親父がファンなんだよ」
すっかり話がそれてしまった。そのうち皆が自分の好きな夏の歌について語り始める。最近の曲が挙げられたと思ったら、いきなり古い歌の名前が出てきたりして、妙な盛り上がりを見せる。
「ショウは他になんか好きな歌ある?」ヨシに尋ねられる。
僕はあの曲の名前を挙げようか少し迷ったけど、試しに言ってみることにする。
「歌じゃないんだけど、知ってるかなあ?久石譲の『Summer』ていう曲」
流石に皆すぐには何の曲か出てこないようだ。
「ええっと、どんな曲だっけ?」
「あっ、思い出した。よくテレビとかで流れてる曲だよね」
ジョーがあのメロディーを口ずさんだ。
「そうそう、それそれ」やっとわかってもらえて僕はほっとした。
「あの曲ってそんなタイトルだったんだ。全然知らなかったわ」ケイちゃんにとっては初耳だったようだ。
「確かに、言われてみればすごい印象に残ってるメロディーだよな。今度ちゃんと聞いてみよう」ヨシも興味を持ってくれたみたいだ。
「なんか懐かしさ感じられるんだよなあ」ジョーがしみじみと言う。
「俺たちまだ15年しか生きてないけどな」
ケイちゃんがツッコんでまた笑いが起こる。
「いいんだよ。小学校時代の夏を思い出せるだろ」ジョーが弁解する。
「まあ、俺もこの曲のタイトルまで知ったのは中学の時なんだけどね」
僕がこの曲をちゃんと知ったのは、中学2年の時だ。丁度金木犀の香りがほのかに感じられる、ちょっと切ないような季節だった。
部活の練習で校庭の校舎寄りの場所にいる時に、その校舎からよくピアノの音色が僕の耳に届いてくることがあった。どこかで聴いたことのあるメロディー。素敵な曲だなあとは思いつつも、特に意識しすぎることもなく、何気なく聞き流しながら僕は練習に励んでいた。
雨で練習が中止になったある日の放課後、僕はふと思いついて、あのメロディーの発信源を突きとめてみることにした。校内でピアノのある場所なんて一つしかない。早速一人で音楽室に向かった。
目的地に近づくに連れて、ピアノの音は大きくなる。演奏者は今日もいるみたいだ。部屋の前まで来ると、流石にドアは閉まっていたが、そのドアに付いた窓から中の様子を覗うことができた。
女の子だった。グランドピアノはドアの正面にあって、その前に座って演奏している。弾いているのはいつものあの曲だ。僕はその女の子のことをどこかで見たことがあったけれど、名前は知らなかった。僕は音を奏でる女の子の姿を眺め、その音色に耳を澄ませていた。
演奏が終わり、余韻を味わった後、ふと何かの気配に気づいて、彼女はドアの方を向いた。顔が赤くなる。僕の顔も赤くなる。僕は逃げようとする。
「待って」
ドア越しに声が聞こえた。僕は振り返る。ドアの窓から、女の子が椅子に座ったまま、少し戸惑いながらも手招きしているのが見える。僕も動揺しながら、ドアを開けて音楽室に入る。
「ずっと、見てたの?」少女はいかにも恥ずかしそうに尋ねる。
「いや、途中から、ごめん」僕も上手く言葉が出てこない。
お互い黙ったままで、目も合わせられない。いたたまれなくなった僕は、思い切って口に出す。
「この曲、好きなんだよ」
彼女は、えっ?という顔をして、僕と目を合わせる。僕は頭を掻きながらすぐに目をそらす。
「その、校庭で練習しているときにさ、よく校舎の方から聴こえてきたんだよ。どこかで聴いたことあって、いい曲だなあって思って。全然曲の名前とか知らないんだけど」僕はうまく言えないなりに声を出す。
また静かになる。
「『Summer』ていう曲なの」ふと女の子が呟くように言った。
「久石譲っていう人が作った曲。ほら、あの、ジブリ映画の音楽とか作ってる人なの。この曲は別にジブリの曲じゃないんだけどね」
「そっか。初めて知ったよ」
「うん。テレビとかで結構流れてるんだけど、皆名前までは知らないんだよね」
この時、彼女は初めて笑った。僕も笑うことができた。
「もう一回、弾こうか?」
「えっ、ほんとに?」
女の子は頷く。
「じゃあ、お願い」
少女はさっきと同じ曲を演奏し始める。僕も近くにあった椅子に座わる。心が安らぐ旋律。ちょっと前までの動揺が嘘のようだ。穏やかな気持ちになる。今までに感じたことのない至福が与えられる。そんな素敵な音楽が、今僕のすぐ目の前に存在していた。
演奏が終わった。
「ありがとう」僕は礼を言う。
「いえいえ」彼女は返す。
「そういえば、もう秋なのに、なんで今『Summer』って曲弾いてるの?」
「ああ、別に理由なんてないよ。いつ聴いても、素敵な曲なことは変わりないし。それに、どんな季節の時でも、夏の雰囲気とか、景色って、割と思い出せるじゃん」
僕は、ほんの数週間前までそこにあったはずの夏を、思い出してみる。
「言われてみれば、確かにそうかも」
「でしょ」女の子ははにかむ。
「あっ、あとまだ君の名前聞いてなかった、ごめん」
「あ、ほんとだ」彼女は驚いた顔をする。
「私はキクチサナエです。2年です。あなたは?」
「ニシムラショウスケ。俺も2年」
「なんだ、同い年だったんだ。お互い知らなかったのに普通にタメで話してたね」
僕たちは一緒に笑いあった。
サナエは小学6年の時までピアノのレッスンを受けていたが、中学に上がってからはレッスンを辞めて、自分のやりたい曲だけを独学で練習するようになったと言った。『Summer』は彼女にとって、その中でも特にお気に入りの一曲だった。音楽室で演奏するようになったのは、家にはスタンドピアノしかなく、ただ音楽室にあるグランドピアノを使いたかったからだそうだ。中学にはたまたま音楽系の部活がなく、ピアノも授業以外ではほとんど使わないのであっさり借りられたのだとか。
昼休みにも大抵音楽室に来ているということで、僕はこの日以降、特に用がなければ、その時間にサナエの演奏を聴きに行くようになった。勿論部活がない日の放課後も顔を出した。彼女もたまにいない時があったけれど、何日も続けて来ないことはほとんどなかった。サナエは『Summer』だけでなく、他にもいろんな曲を弾いてくれた。音楽に疎かった僕に合わせて、久石譲の他の楽曲や、テレビでもよく流れるような比較的親しみやすいクラシック音楽が演奏された。どの曲も、夕暮れ時の穏やかなさざ波のように僕の心に澄み渡り、染み込んできた。そして僕はその情景を独り占めしている様な気分にさせられた。彼女の演奏会の観客は僕一人だけだったからだ。当時の僕にとってこの時間は数少ない幸せを感じられる時だった。
しかし、幸福の時間はあまり長くは続かなかった。
年をまたいで、2月のある日、珍しく大雪が降った。当然部活は中止になり、僕は音楽室に向かう。サナエは既にピアノの前に座っていた。何も弾かず、雪が音もなく降り積もる窓の外を眺めている。彼女の様子がいつもと違うことに気づく。普段の彼女が纏っている余裕のようなものが感じられない。僕の方に振り向こうともしない。お互いに何も話さない。しばらくして、サナエは意を決したように一つ深呼吸をし、ようやく僕の方を向いて話し始めた・・・
僕はサナエに告白された。その時具体的にどんなやり取りを交わしたのか、よく思い出せない。僕もひどく動揺していたのだ。ただはっきりと言えるのは、僕が彼女の申し入れを断ったということだ。
僕は彼女の演奏に何より感謝していたし、彼女に好感も持っていた。でもそれは、決して恋愛の対象としてのものではなかった。彼女にそんな気があったなんてことにも気づかなかった。ただ、僕は、彼女の奏でる音楽を聴いているだけで嬉しい気持ちになれたのだ。
その日以来、校舎から『Summer』が流れてくることはなかった。僕が音楽室に行くこともなくなってしまった。やっぱり付き合ってあげればよかったのかなと思う時もあった。でもたぶんダメだっただろう。その時の僕には、そういう意味で彼女とちゃんと向き合える自信も、余裕もなかったからだ。
でも、『Summer』という楽曲の美しさは、僕の心の中に残り続けた。あんな出来事があったのに、その後も僕がこの曲を嫌いになることはなかった。もしかしたら『Summer』には、そういう物事も乗り越える不思議な何かがあるのかもしれない。僕はこの楽曲を好きなままであり続けたのだ。
サナエがその後、どういう道に進んだのか、知ることもなく僕は卒業してしまった。僕が言える立場でないないのはわかっているけれど、彼女は元気にしているだろうか。せめて、僕と同じように、今でも『Summer』を好きでいてほしい。
ほげちゃんのお誕生日会に行ってきた話。
ほげちゃん生誕イベントに行ってきた話をする前にブログに長い文章を書くスパンが空いてしまったことの釈明をさせて頂きたい。
11月の上旬に長州バーを訪れたのだが、その時に長州さんから、まあ噛み砕いて言えば、
君の書いている文章は面白くない
的なご指摘を受けたのである。
それでまあ、もう少し面白さみたいなものを意識して書かないといけないなとは考えていたのだが、いざそういう風に思うようになると、
何だかブログが書きづらくなってしまったのである。
その後の出来事として、室井雅也さんに会いにいったというエピソード(色んな場所で書いたけど室井さんめっちゃ良い人でした)があるのだが、まあ単純に他にやることがあったことに加えて、ブログの書き方を変えていく上で、
初めて話すことができたばかりの室井さんの話を実験台に使うのはちょっとなあ
という気持ちが芽生えたのでこの時のことは一旦ブログに書くことを見送らせて頂いた。
そして今回のほげちゃんのお誕生日会である。
ほげちゃんとは何度も会っていてブログにも書いている。
という訳で今回は、
いつもと違うテイストでブログを書かせてもらいたい。
というかもう始まっている。
12月2日、場所は東京、御徒町。
ちなみにマップは見ていたものの、
会場のビルは凄いわかりづらかった。
ビルの前にいた方に「ほげちゃん(のイベントに来た方)ですか?」と話しかけられるまで確信が持てなかった。
その時点では「ほげちゃんの誕生日会の会場です」みたいな看板もなかったのである。
てか、なんやねん、女の子バーって(会場とアナウンスされていたそのビルの4階の店名)。
ちなみに、この時に話しかけてくれた方が偶然にも俺がインスタで相互フォローしている人だった。
直接会うのは初めてだったので改めてはじめましてと挨拶させてもらった。
この日はSNSでは繋がっていて今回初めて直接話せた人が他にもいたりして、なんだか有り難いなあという気持ちであった。
そんなわけで列に並んで待っていたら、普通にほうのきさん達がやってきたのである。
どうも入口が一つしかなく、客だろうが演者だろうが同じところから入るしかなかったのようである。
しかもほうのきさん達が来た時点で入口のドアは開いてなかった。
なので俺が列に並んでるすぐ近くで普通に開くのを待っていた。
まあ、暫くしたらドアを開ける人が来て中に入って行ったけど。
そしてもう少ししたらるみなすさんもやって来た。
さらにちょっと時間が経ってからるみなすさんさんがまた外に出てきてどこかに行ったと思ったら、今度はるみなすさんとパジャマ姿のほげちゃんが来たのである。
相変わらずこの界隈は演者とファンの距離が近すぎる。
その後、建物の中に通されて階段のところで一旦待つように言われた。
ちなみに、ここで待っている間もほげちゃんやほうのきさんの歌が音漏れしてたり、ほげちゃんやるみなすさん達がご飯を買いに行くために目の前を通り過ぎてったりした。
そして会場の中に入ると思ったより狭くて、椅子がなかった。
てか、バーだった。
まあ、より近くで見れるのでこれはこれで良かったのだけれど。
しかも、自分が陣取った場所がとても良くて、目の前にパジャマ姿のほげちゃんが基本いてくれた。
いやあ、有り難いなあ。
お客さん全員に飲み物が配られた後で乾杯をして、ほげちゃんとほうのきさんによるトークが始まった。
結構知ってる話も多かったけど、ほげちゃんが小中学生くらいのころにニコ生をやっていたこととか、東京に出てきて(ほげちゃんついに上京したんです)始めたバイトをもう辞めたこととか(早え)、他にも禁断の多数決の裏話とか、新しく聞く話もちゃんとあった。
しかしまあ、わかっていたことではあるけれど、終始グダグダであった。
まとめる人がいないのじゃ。
るみなすさんもいた訳だけれども、彼女はギターを弾く他に飲み物を作ったりと裏方に徹されていた。
しかし、るみなすさんはあくまでべしゃり担当ではなかった。
まとめる人がいないのじゃ。
俺もこれまでブログに書いたとおりお三方とも話をしたことはあったのだが、所詮はいちファンだし、他のお客さんも大勢いたのでしゃしゃり出る気にはなれず、あまり喋らなかったのであった。
まとめる人がいないのじゃ。
というわけで、俺自身はイベント中には演者さんたちと話せそうで話せない感じだったのだが、このイベント1部と2部に分かれていて、その間のほげちゃんがチェキを撮りに行って人が減っている間にほうのきさんとるみなすさんとは話したりした。
ほうのきさんには「誰かに似てるよねえ」と言われた。
俺はこれまでに○○に似てると一旦言われても最終的に「やっぱり違う」となって、結果、特定の誰かに明確に似ていると言われた試しがないので、全く検討がつかないのであった。
そしてほうのきさんも最後まで具体的な名前を導き出すことはなかった。
るみなすさんは遠慮されてたのか、目の前にいても俺に話しかけてくれそうになかったので、俺の方から「俺のこと覚えてます…?」と話しかけてしまった。
頂いた返事は「もちろんです!」だったので安心して、「いやあ、いつもるみなすさんの配信にお邪魔させてもらってまして…」みたいな流れで話すことができた。
そして相互フォローしているほうのきさんはもちろん、るみなすさんも俺のインスタの投稿を見てくれてるそうで、いやあ、有り難いなあ。
(でもどうせならフォローして欲しい…なんて思ってないよ。)
あと、インスタといえば会場で、ほうのきさんのインスタ投稿を俺がほうのきさんの目の前でファボったらほうのきさんに速攻でバレるということがあった。
あれは面白かった。
そんなこんなで(終始グダグダな)楽しい4時間半はあっという間に過ぎてしまった。
これを書いているちょうど今テレビでやっているM-1を見ようとする気が起きない程笑わせてもらった。
良い時間であった。
この日俺は貢ぎ物を用意していた。
ほげちゃんのためにサッポロビール3種×2本 計6本
このイベントが告知された日が誕生日だったほうのきさん、いや、
これまで誕プレを渡しそびれ続けてきたこの日会場に来るはずの
中村ちひろ(さひろ)さんのためにストロングゼロ 6種=6本
そしてこの流れでるみなすさんにだけ何もないのはおかしいだろと判断した俺は、
るみなすさんのためにほろよい 6種=6本
合計21本の缶飲料を家から会場に来る途中スーパーで買って持ってきた。
イベントが終了してほげちゃんがチェキ撮りに行った段階で、レッドブルおじさんとるみなすさんに貢ぎ物を渡すことができた。
るみなすさんには「重くなかったですか…?」と尋ねられた。
はい、クソ重かったです。
しかし、重大な問題が発生していた。
さひろさんが来なかったのである。
どうやらイベントの時間を勘違いしていたらしい。
どうして八王子の多摩美大では会えたのに御徒町では会えないのか。
それでるみなすさんに「あとで来たら渡します…」と言われたので託してしまったのだが、その後のさひろさんのインスタストーリーを見る限り、
家から出ている様子が全くなかったのである。
さひろさんを責めるつもりは全くないのだが、俺の思いを乗せたストロングゼロは果たしてさひろさんに届いたのだろうか…
(ちなみにこれを書いているときにさひろさんがストロングゼロ1年分がどうのこうのツイートしてたので、俺1年分も用意した覚えねえよと思ったらM-1の景品のことだったらしい。なんやねん。)
そしてるみなすさんと(結局最後まで俺が誰に似てるのか特定できなかった)ほうのきさんに挨拶をして、最後にほげちゃんとのチェキを撮りに行った。
ほげちゃんにサッポロビールを渡し、先日かえさんに描いて頂いたほげちゃんのイラストを"見せ"(これは流石に宝物なので渡せない)、そしてほげちゃんが誕生日に一番欲しいものに挙げていた手紙を渡した。
実は最初会場に通された時にほげちゃんからの直筆の手紙を頂いていた。
なので手紙を渡した時には「これでちょうどお手紙交換だね!」とほげちゃんは言ってくれた。
嬉しい。
そしてほげちゃんとチェキを撮り、いつも通りハイタッチして、挨拶をして俺は会場を後にした。
いやあ、ほんとに良い人ですよ、ほげちゃんは。
(あっ、服忘れて会場に取りに帰ったシーンはカットでお願いします。)
家に帰ってから、ほげちゃんからの手紙を読んだ。
手紙の内容を書いてしまうと、通報されてしまうのでもちろん書かないが、感想としては、
この人は神様か何かなのか
と思った。
それくらい嬉しいことを書いてくれていた。
この手紙はもちろん、諸般の事情で書くのは控えようと思うのだけど、この日ほげちゃんとの関わりでもう一つ心から嬉しいと思えたことがあった。
この日だけでほげちゃんのことがもっと好きになった。
ほんとに素敵な人に出会うことが出来た。
これからもこの繋がりを大切にしたい。
そう思うのだった。
…以上です。
これまでと違うテイストで書いてみました。
如何だったでしょうか?
これからもいろいろ工夫しながらブログ書いていこうと思います。
そして来週は…
GLAY様に会いにいくぞおおおおおおおお!!!!!!!
終わり。
The Blue 6
朝、教室に入るとジョーがいた。普段おちゃらけて見える彼だが、遅刻は絶対にしない。早く来て勉強か読書をしている。ただ今日は、昨日までのテストの疲れが残っているのか、何もせずぼーっとしていた。僕は鞄を机の上に置いてから(流石に席替えでもう前後の席ではない)、こっそりジョーの後ろに忍び寄って彼の頭をもじゃもじゃした。
「わあ!」ジョーが立ち上がって振り向く。
「なんだショウか」胸をなでおろす。
「ショウ君はそういうことする子じゃないでしょ」
「人を思い込みでキャラ付けするなよ。固定観念、ステレオタイプ」
はいはいすいませんでした。ジョーが座り直す。僕は彼のすぐ横に移って聞いた。
「テストはどうだったよ?」
「まあまあできた方かな。お前ほどできてないけど」
「そんなの結果が返ってこないとわからないだろ」
「俺にクラス一位二位を争う実力があると思うかい?」
「それは努力次第だろ」
じょーはムッとした表情を作る。やはり疲れがあるのか、今はあまり話を広げるつもりもないようだ。
「そういえば」
ジョーが突然表情を変えて、
「ショウに関する良からぬ噂を聞いたんだが」
えっ?僕はすぐに何のことか思い当たらなかった。
ジョーが小声で耳打ちする。
「バイトしてるの、バレたっぽいぞ」
僕が高校に入ってからやりたかったこと。それはアルバイトだった。今まで面倒を見てくれたおじさんへの恩返しのため、彼の負担を少しでも軽くするためにしたかったことだ。あいにく僕の学校ではアルバイトが禁止されていたが、学校の生徒がほとんどいない地元のコンビニを働き場に選んだので、そうそうバレることはないだろうと高を括っていた。ジョーたちを除いて、僕は誰にもこの事実を伝えていなかった。
「たまたまショウの地元のコンビニでトイレ借りた奴が、レジで働いてるお前のこと見たんだってよ。そいつ的には、普段おとなしそうなのに仕事だとてきぱきしてるお前を見てかなり好印象だったみたいだけど」
僕は上を向いてため息をつく。いろんなことがそれなりに上手くいっていたはずなのに、これから僕はいったいどうなってしまうんだろう。
噂は徐々に広まっていき、数日後、ついに僕は生活主任の先生に呼び出された。皆はきっと大丈夫だと励ましてくれたけど、そんな保証はどこにもない。僕は最悪の事態も覚悟して、面談室に向かった。
部屋に入ると、主任の先生が一人座って待っていた。
「ニシムラショウスケ君だね」
「はい」
先生は向かいの席に座るよう僕に指示する。僕はそれに黙って従う。
「なんで呼び出されたかは、大体検討がついてるね?」
僕はうなずく。
「聞くところによると、君はかなり優秀な生徒だそうじゃないか。中間の成績は上位で、今回の期末も上々の出来だったとか」
「そんなことないです」
「でも、成績がどうだろうが校則違反をした場合、本来生徒は平等に罰せられなくちゃいけない」
僕は黙っている。
「ただ、今回はかなり微妙な問題だ。先生もそんなに馬鹿じゃないから、それくらいのことはわかる」
あれ?僕はよくわからないという顔をする。
「勿論君の家庭の事情くらいこちらは把握しているよ。一応校則では、特殊な場合を除いてアルバイトは禁止されている。問題は、君のケースがその特殊な場合に当てはまるかどうかだ。微妙、というのはそういうところのことだよ」
僕はまだ何も話せないでいる。
「当然君がバイトのことをちゃんと報告しなかったのはまずかった。しかし、君の気持はわからないでもないんだ。我々に報告したところで君の言い分が通るかは何とも言えないからね。兎に角君は、育ててくれた人のためにお金を稼ぎたかったんだろう?」
僕は驚かされた。全部見透かされていた。全部わかってくれていたんだ。
「君は普段の生活態度も良好だし、馬鹿の一つ覚えみたいに君を咎める気にはなれないよ。だから我々も色々と考えたんだが、今回の君のケースは特別に認めることにした。勿論条件付きではあるが」
「その条件って何ですか」
「もし今後君の成績が下がるようなことがあったら、ということだ」
僕はここでようやく笑うことができる。
「本当にありがとうございます。でも、成績で判断するっていうのは随分ありきたりですね」と試しにツッコんでみた。
「ははは。確かに漫画でよくありそうな展開だ」先生も笑ってくれた。
先生に挨拶してから部屋を出て、階段の方に歩いていくと、その階段のところでジョーとケイちゃんが隠れて待機していた。ヨシは何故かいなかった。
「どうだった?」
「今から一か月間の停学処分」
「うそだろお・・・」
二人はショックの色を隠せない。でも少ししてから、ケイちゃんがふと気づく。
「あれ?でも今から一か月って、もうすぐ夏休みじゃん」
「だから、そういうことだよ」
彼らはようやく理解して、ほっと胸をなでおろす。
「なんだよ、驚かすなよ」
「いきなり変な嘘つきやがって」
「はは。ただ、おかげで今の成績を維持し続けなくちゃいけなくなったけどね。まあ兎に角、あの先生はいい人だったよ」
「それ本当か?」ケイちゃんが疑ってくる。
「あいつ課題いっぱいだすから皆文句言ってるぜ」ジョーが腕を組みながら言う。
「そういうところで人を判断するもんじゃないよ」僕は弁解してみる。
その後、僕がトイレで用を足そうとすると、あとからヨシが入ってきて、僕の隣のところについた。
「災難だったな」ヨシが言う。
「別に。結局たいしたことなかったよ」
「お前の噂はこれ以上広まらないように俺がしとくからさ」
「そんなことできるのか。でも、わざわざいいよ。噂なんて皆そのうち忘れちゃうからさ、きっと」
実際、夏休みに入ると、次第に僕の噂のことは皆忘れてしまったみたいだった。僕は平穏にこの蒸し暑い夏を乗り切ることができそうだ。
ありきたりのことを書くことから始めてみる。
インスタグラムに写真を投稿するようになってから日常的に何か良い風景はないかなという意識で周りの世界を見るようになった。最近は公園や大学構内の赤や黄色に染まった木々が美しく見えて仕方がない。こんなに綺麗だったんだと気づかされる。
先日室井雅也さんのインスタライブを聴いていて彼が言っていた「今の自分は一年前の自分と全然違う。」という話。僕も一年前と今の自分で全然違う人間になっている。何なら一か月前とだいぶ違う人間になっている自信ある。
最近はなるべくネガティブにならないように意識しながら生活している。それでも上手くいくことはいくしいかないことはいかない。でも上手くいかないことにはそれなりの理由があるはずだし、くよくよすることなく良い方向に向けられるように一歩ずつ進んでいく。
誰かが僕を気持ち悪いと思うかもしれない。でも悪いけど今の僕はそんな人達を置いてけぼりにする気にしかなれない。
来週ほげちゃん達にまた会いに行く。今週もバタバタしてるけど、その先に大切な再会が待っていることを思いながら過ごそう。