みつむらのブログ。

みつむらです。

The Blue 8

 僕たち4人は、横須賀線に乗り、鎌倉に向かっている。天気はいいが、お出かけ日和というには少し暑すぎるような日だ。日差しの刺激的な強さが電車の窓越しからも感じられる。4人はシートに並んで座っている。仲良しの集まりではあるけれど、高校生にとってはそれなりの長旅になるので、思ったほど会話が続かない。誰かがふと思い立ったことをボソッと呟いて、それに対して別の誰かが返す。そこからやり取りが続くが、いつの間にか会話が終わり、静かになる。しばらくしてまた誰かが話し出す。そういえばさ。そんなことを繰り返しているうちに、目的地に到着する。

 鎌倉駅の東口に出て、小町通りに入る。様々な食事処やお土産屋さんが軒を連ね、観光客の食欲と購買意欲をそそらせてくる。ただ、まだ午前の十一時になったばかりなので、昼飯はもう少し後にしよう、とヨシが提案する。ジョーが何となく不満そうな顔をするが、一応皆同意する。一行は小町通りを道なりに進み、しかるべきところで右折して、鶴岡八幡宮前の交差点に出る。丸太橋を横切って、再び真っ直ぐに歩いていく。一同もうすっかり汗だくで、体をタオルで拭き、ペットボトルの飲み物をガブガブ飲みながら、会話も無く歩を進める。舞殿を通り過ぎ、石段を登り切って、ようやく本宮にたどり着く。ここでようやく一息つくことができる。

「ふああ、疲れた」

「おいおい、まだこれから行く場所いろいろあるんだろ」

「先行き不安だ」

 参拝してから、しばらく日陰で一休みする。徐々に皆の体力が回復してきたところで、ジョーがおみくじを引こうと言い出す。

「お前、早く飯食いたかったんじゃないのかよ」ケイちゃんがツッコむ。

「いいじゃん。折角由緒ある神社に来たんだからさ」

「そういや、俺おみくじなんて今まで引いたことなかったな」ふと僕は思い当たる。

「おや、おみくじ童貞かい?」ヨシがからかう。

「そんなもんあるかよ」

 おみくじの結果は、僕とケイちゃんが吉、ヨシとジョーが中吉だった。

「皆そこそこ運がいいな」

「俺たちこんな幸せでいいのかな」

「誰か一人くらい凶でも引いたらネタになったのに」

 参道を引き返し、今度は若宮大路をしばらく進む。途中で右に曲がり、小町通りに戻ってくる。駅方面に向かいながら、昼食をとる場所を探していると、丁度有名なタレントがロケで来たことを示した写真が表に出ている、小さな食堂をケイちゃんが見つけた。いい加減皆お腹が空いていたので、すぐにその店に入り、全員おすすめメニューのカツカレーを注文した。だいぶ歩いた後だからいうこともあるだろうけど、かなり美味に感じられた。ボリュームも丁度良い。一同満足して店を出た。いやあ、建物の見た目に騙されちゃ駄目だな。

 鎌倉駅から、今度は江ノ電に乗り込んだ。4人は電車から海が見えることを期待して外を眺めていたが、中々海は現れず、気が付くと次の目的地のある長谷駅に着いてしまっていた。海が見えるのはもう少し先なんだな。

 駅を出て、北に向かってまたしばらく進んでいく。

「また歩くんかい」ジョーがぼやく。

「お前、鎌倉来たんだからここ寄らないでどこいくんだよ」ヨシがたしなめる。

「俺はさっきのカレーで元通りだけどな」ケイちゃんはすっかり元気そうだ。

「なあショウ、お前ももうしんどいだろ」ジョーが僕に同情を求めてくる。

「俺はまだいけるけど」僕は正直に事実を述べる。

「ああ、そっかショウはスポーツマンか。ケイちゃんの味方か」ジョーはため息をつく。

「ほら、見えてきたぞ」

 高徳院。あの鎌倉の大仏がある場所だ。ただ、この場所の大仏はその大きさに驚かされるという感じではない。4人にとっては、どちらかといえば、ああ鎌倉に来たんだなあ、と思わせてくれる存在だった。大仏の胎内巡りもしたけれど、中は空気が籠って真夏の野外よりも蒸し暑いことになっていて、皆すぐに出てしまった。

「釜茹で地獄とはこのことか」ジョーはある種の感心を寄せていた。

 むしろいろいろと驚かされたのは、この直後に行った長谷寺だった。高徳院からもと来た道を引き返して、駅の近くまで戻ってから右折し、そのまま進んだところに、そのお寺はある。

 そこにはお地蔵さんが大量に並んでいる場所や、巨大な観音様が安置されていた。圧巻だった。一同、すげえ、という言葉しか出てこなかった。

 その後再び江ノ電に乗り、稲村ヶ崎駅を過ぎたところで車窓からようやく海が見えた。車内なのであまり騒いだりはできなかったが、ジョーが、

「きたあ」と小声でつぶやいた。僕も同じ気持ちだった。海なんて見たのいつ以来だろう。少なくとも記憶にはなかった。

 海は文字通り広大で、圧倒的な存在だった。海面は微かに穏やかに揺れ、西に傾いてきた太陽がその一部を白く眩しく染めてていた。ヨットや船が点々と浮いている。水平線は不思議なくらい真っ直ぐだ。西の方に浮かぶ江の島も、徐々にその姿を大きくしていった。

 海を眺めていて僕は、自然に自分の顔がほころんでいることに気づいた。幸福感が僕の中でいつも以上に高まっていた。隣を見ると、他の3人も僕と同じ心理状態になっているようだった。僕たちは江の島駅に着くまで、黙って海を見つめ続けた。

 駅に着いてヨシが、

「よし、それじゃあ江の島目指すか」と何気なく言った。

「それ自分の名前と掛けてんの?」ジョーが思わぬ指摘をする。

「なんだよ、お前、いきなり、」ヨシが笑ってどもりながら返す。皆に失笑が起こる。いつもの4人が帰ってきた。

 南の方へ進み、海岸線のすぐ近くまで出る。島へ続く一直線の長い橋を歩いて渡る。さっきまで海の向こうに見えていたものが、今はもう目の前にそびえたっている。

 江の島に来ることは事前に決めていたことだったが、そこで何をするかまでは特に考えていなかった。

「神社があるらしいから、とりあえずお参りはしよう。まだ皆時間はあるでしょ?後は適当にのんびりしてよう」とヨシが言う。まあこのぐらいのことしか計画していない。

 島に入り、鳥居をくぐると、お店が坂に沿ってずらりと並んでいた。その参道の途中で行列ができていた。タコで作った煎餅を売っているようだ。

「なんか名物みたいじゃん。並ぼうぜ」ケイちゃんが提案する。思えば、昼食を食べてからは何も食べていない。慌てているわけでもないので、列に並んでみることにした。

 味付けか何かが施されたタコを、特殊なプレス機のようなもので潰して平らにする。出来立ては温かい。シンプルであっさりとした味わいで、少なくとも自分好みだった。値段はやや割高だったけれど、それでも並んだ甲斐はあったと思う。

 皆で食べながら進んでいき、途中で今度は島内の名所を示した地図の看板を発見した。

「おっ、結構奥の方まで行けるんじゃん」ジョーが言う。

「面白くなってきたぞ」ケイちゃんは進む気満々だ。

「じゃあ行けるところまで行ってみるか」ヨシが進行を英断する。

 一行は階段を昇り降りしながら、江の島神社辺津宮中津宮、そして奥津宮をそれぞれ参拝しつつ歩を進めていった。皆それまでかなり歩いて疲れているはずだったが、誰も引き返そうとは言い出さなかった。彼らの中では、不思議なまでの無邪気な好奇心が、疲労を上回っていたのだ。僕はまるで自分が小学生になってしまったかのような気分になった。あの頃のことで、いい思い出なんて全然なかったはずなのに。

 奥津宮からさらに歩き、急な階段を下っていく。展望が開ける。海だ。

 視界の180度以上が、どこまでも深く淡い水の世界に覆われている。さっき電車から見た海よりも、ずっと広い。

「下の方にも降りれるぜ。行こうよ」

 海に面した岩場の方に降りる。海のすぐ近くにまで迫ることができる。目の前の波は遠くから見た時と異なり、力強く激しいものに感じられる。自然の驚異的なエネルギーに触れる。飲み込まれたら一巻の終わりだ。

 東の方には三浦半島が、西の方には伊豆半島が長く伸びている。そしてその西の方角にある穏やかな雲の中に、今まさに暖かく柔らかい橙色の光が潜り込もうとしている。僕はその光と、大海原を媒介として一直線に繋がっている。

 他の3人も、すげえ広い、めっちゃいいじゃん、と感嘆の声をあげていたが、次第にまた誰も話さなくなり、黙ってこの世界の片隅のような光景を眺めるようになる。

 4人は日が沈むまで、この場所に留まり続けた。東の方から少しずつ薄い暗闇の世界がやってくる。この宇宙は、間違いなく、人為的な時間に縛られることなく活動している。そのことを実感するまで、僕たちはこの地に別れを告げることができなかった。

 

 帰りの電車内、僕の隣には3人の寝顔がある。散々歩いたんだから無理はない。僕自身は電車で寝れないという体質の問題と、乗り換えで皆を起こさないといけないという使命感から、きたままじっとしていた。暇ではある。話し相手はいないし、疲れて読書をする気にもなれない。外の真っ暗な何も見えない景色を見つめている。

 けれども、僕は十分に幸福な気分だった。この世界について、これまであまりに何も知らな過ぎた。今は、人に許され、美しい情景を眺めていることができる。